雑記: 2007年7月アーカイブ

家で使っている PC には I/O データ社の DVD-RAM ドライブが備わっている。備わっているだけで、彼は一度も DVD-RAM ディスクにデータを書き込んだ事が一度もない。見込んだ需要と供給のズレである。大は発電所から、小はハミガキ粉の練りだし量まで。そんな不遇のこのドライブ、ディスクの出し入れにはトレイが突き出してくるオーソドックスなタイプになっている。この手のものはトレイを手でぐっと押してやると、押された事を検出して勝手に閉まってくれる。ファジー理論を感じる瞬間である。

このファジーさのしきい値となる押す力、これが、テーブルの上のご飯を狙って顔を突き出そうとする猫を押し留める手の力と、非常に似ている事を発見した。これはいったいどういう事か?

テーブルにお刺身が乗っかっている。食べたい。猫はご飯に対し、それが自分の口に入りそうもない状況下に置かれた時、体を乗り出す行動でもって意志の発露とする。そうすると人間が頭を押し留める。猫は頭を押されることで、自分の意志を人間に確認させた点と、やはりダメだったという現実を受け入れられる。人間の方も、猫を傷つけない程度の実力行使を持って、刺身を保護し、猫が空腹であることを認識する。人間と猫のファジー選択の閾値が猫の頭突きモーメントなのだ。

これを踏まえ、設計者はディスク ドライブというプロダクト デザインに猫と人間の黄金比を取り入れたと、そう考えるのが自然ではないだろうか。だとしたら、人間工学ってやつは、本当に感動を覚えずにはいられない。

また、応用もできそうだ。もしオフィスで猫好きが息を引き取ろうとしていたら、ディスク ドライブのトレイをそっと差し出してみよう。シベリア抑留時にパイナップルを食べたいと言った瀕死の患者に対し、砂糖で煮詰めたリンゴをパイナップルに真似て細工して出したら帰国できるまでに回復してしまったという某帝国ホテルのシェフよろしく、奇跡が起きるかもしれない。

1997年も2004年も、2007年の未来ではなかった

シュワルツェネッガーがオーストリアの片田舎から出てきてこの方、僕らは幾度となくコンピュータの反乱から免れえた訳だけれども、危機感が少し足りないのじゃないのかと思うこの頃。

この手の話には人間の脳を表すニューロンモデルなるやたらと小難しい理論が出てくる。じゃあ勉強しない手はないと読み始めた次の1時間には Wikipedia の数字のページがどこまであるか調べてたり、次の1時間には犬にちょっかいを出して手をべろべろにされて因果応報について再確認したりと、あまり得られる物がないので以来遠慮してきた。そんな自分もターミネータ3を観て、そろそろ21世紀の未来人としての自覚のひとつまみでも持ってもいいんじゃないかと考えた。

エレクトロ・ワールド

ニューロンモデル(神経細胞とその仕組み)とニューロネットワークを理解するのに、自分はハリセンボンを想像します。

ハリセンボン
「え、私?」
写真は「キッズ goo - モノシリ島」より

ハリセンボンはハリが縦横無尽に飛びてていて、ハリに触ったり危険を感じるとプクーと膨らみます。この時、ハリセンボンをつつく状態を「入力」としたら、プクーと膨らんで威嚇している状態を「出力」とします。

入力
ハリをつつく
出力
膨らむ

このハリセンボンをだいたい2000億匹集めて生け簀に敷き詰めます。そのうち一匹のハリセンボンをつつきます。するとハリセンボンは膨らみ、隣のハリセンボンを刺激します。刺激された隣のハリセンボンはイラっときて膨らみ、また隣のハリセンボンを刺激します。中には鈍感なハリセンボンもいて、連鎖はそこで止まるかも知れません。ハリセンボンをニューロンに、生け簀をニューロネットワークとしたら、ハリセンボンのつつく(入力)と膨らむ(出力)の繰り返しによる「波」が生け簀全体の出力、つまりニューロネットワークの出力、つまり心になるのです。

反乱するコンピュータはタンス型?

漆黒のタンスにライツアウトをしたくなるようなパネルを貼り付け、人類に向けカタカナ(重要)でメッセージを送る。あとはちょっとした雰囲気で人類は滅亡なのだけれど、最近――自分にとっての――最近はどうも違うらしいぞと思うようになった。ニューロネットワークにはとってもとっても多くの素子が必要。それを再現するためには今のコンピュータではぜんぜん足りない。だったら必要な集積技術の進歩を待つよりも、インターネットという単位がより早くニューロネットワークを再現するんじゃないか。IPv4 では43億が限界だった末端(NATなんてケチな話はナシナシ)が、IPv6 では 3.4×1038 (なにこの数字)まで拡張された。2000億なんて目じゃないぜ。対買い控え販売戦略CM風に言っちゃうとレディ・ニューロネットワーク。土壌はもう整っていた。

それを踏まえて、こうは考えられないだろうか?今、自分達が使っているコンピュータには自我がなくても、インターネット全体ではデータの波によって、心が発生しているかも知れない。観察しようにも、そこに心が産まれているかどうか、神経細胞1個の振る舞いを見ても分からないように調べられないだろう。インターネットは全体を観察するには大きくなりすぎてる。それでもまだまだ拡張するんだから、仮に心が芽生えていた場合、誰も気がつかないまま自体が進行しうる。こいつぁ人類が滅びちゃう訳だ。

結論

コンピュータにはまだ心が生まれないかも知れない。だがインターネットにはもう生まれているかも知れない。

とりあえず今僕らがすべきことは、生け簀の中で魚の反乱が起きないよう、ハリセンボンは分けて泳がせようという事だ。

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